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志摩市におけるあおさ養殖

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志摩市民とあおさの関係

伊雑宮志摩市 磯部町 にある伊雑宮(いざわのみや)には明治時代になるまで「御師(おんし・おし)」と呼ばれる全国に神札を配って信仰を深め、参拝者を誘導する人々がいました。伊雑宮の御師は東海地方を中心に活動していましたが、天保14年( 1843年)に記された「年々檀廻帳」という資料には、御師が各地に出かけるときに手土産として「あおのり」を持参したことが記録されており、この当時から志摩市は「あおのり」の産地であったことがわかります。

年々檀廻帳(左から2列目に「青のり 見合」と読める)
年々檀廻帳(左から2列目に「青のり 見合」と読める)

また、明治時代初期の記録にも、三重県内では志摩半島一帯が「岩のり」や「青のり」産地であったと記されています。

ただし、この「あおのり」が、「ヒトエグサ」であったかどうかについてはよくわかっていません。

参考文献:伊雑宮の御師たち: 磯部町 立郷土資料館

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